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武士ごはん?その3、両国「ももんじやの猪鍋」武士ごはんランキング 江戸vs金沢編

武士ご飯とは?

2014年9月に放送された
日本が世界に誇る“和食”のルーツを探るバラエティー「武士ごはんランキング 江戸VS京都 一生に一度は食べたいSP」
(テレビ朝日系)にて作られた名前のようです。
坂本龍馬が死ぬ前に食べたかったと言われる鍋や、参勤交代の大名がこぞって愛した元祖デリバリーずしを紹介していました。
『坂本龍馬が食べていた』『千利休が食べたであろう』とい料理を紹介しております。

今回紹介しているのは
その1「玉ひでのしゃも鍋」
その2「浅草一文のねぎま鍋」
その3「ももんじやの猪鍋」など

それでは一つ一つ見ていきましょう!
その1「玉ひでのしゃも鍋」はこちら
その2「浅草一文のねぎま鍋」はこちら

その3

「ももんじや」

ももんじゃ_外観
享保3年(1718年)創業の山くじら(猪肉)料理の専門店です。
昔は、獣肉料理店のことを「もゝんじ屋」といいお店もたくさんありましたが、今ではこのお店のみとなってしまいました。
「ももんじや」の猪肉は丹波や鈴鹿などから取り寄せており、みそ仕立ての「すき焼き」となります。
また、そのほかに鹿肉の刺身などもあります。
いまも生き続ける伝統の味をご堪能下さい。

猪の鍋は深紅色した赤身と白い脂肪が特徴で、その色合いから、しし鍋のことをぼたん鍋ともいう。
ももんじゃ_しし鍋
一番美味しい部位は脂の多いバラ肉で煮れば煮る程味が深まる。
ほかにも脂身がなくキメの細かいのが特徴のシカ鍋や、やや黒味を帯びた赤身にたっぷりと霜降りののったクマ肉を使った鍋も当店ならでは伝統のお味付けで召し上がっていただけます。

そんな「ももんじや」で今回紹介するのは「山くじら すき焼き」です。
「山くじら」すき焼き?
山くじら=いのしし ※詳しい説明はのちほど・・・

メニューですがコースはいくつかあるようですが代表のコースを!
ももんじゃ_コース
野獣肉コース
(先付・猪鍋・鹿刺身・熊汁・鹿竜田揚)
7,140円(税込)

ももんじや特性の味噌だれで頂く山くじら鍋(猪鍋)は、お肉のボリュームもたっぷりで男性でも満足のいく量です。
味付けは甘めの味噌が脂が多い猪肉に染み込み絶妙にマッチしていてます。
鹿肉はにおいがきついのかな?と思っておりましたが、癖も無くとても美味しいです。
しかし熊汁はそれなりに臭いがあり、好き嫌いが出るちょっと癖のあるものとなります。
全体的にお店の下ごしらえの技が感じられ臭いもうまく消されている感じがします。
上記のコースは獣肉を満喫でき、おなかも満腹にできるコースです。
初めて獣肉を食べる方!是非一度ご堪能ください。

ももんじやはなぜ「山くじら すき焼き」店?

漢字で書けば、山鯨。
山に鯨がいるわけもないのに、これはいったい何を意味する看板か。
正体は、山鯨を食べさせるお店なのだ。もちろん鯨の肉などではなく、肉は肉でも猪(いのしし)の肉。
だからこの看板は「猪レストラン」ということになりそうである。
こんなややこしい看板を出すには事情があった。
江戸時代はまだ、獣肉を食べることを良しとしない風潮が強く、表だって肉を食べることは一般に避けられていた。
山くじらは猪の符丁(ふちょう)のようなものなのである。
鯨も哺乳類だから同じに思えるが、当時の人々は海にいる鯨は魚と認識していたからである。
魚ならOKというわけで堂々と看板を掲げて営業しているのである。
別に客を騙していたわけでもなく、周知の事実だった。
洒落っ気というか、どこか江戸の人々の感覚はあっけらかんとしている。
因みに捕鯨は江戸時代前には関西方面で始まっているため、鯨は知られていたと思える。

猪肉を「山くじら」「ぼたん」、鹿肉を「もみじ」、馬肉を「さくら」と呼んだ。
「ぼたん」はお皿に盛った肉の形が牡丹(ぼたん)の花に似ていることから、「さくら」は馬肉の色が桜の色に似ていることから、「もみじ」は『奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき』の和歌から称された名前である。
この言い換えは、近世までの日本の食文化が肉食忌避文化であったからに他ならない。
仏教伝来以降、殺生の戒めの影響が大きかったのではないだろうか。
天武天皇の時代には、肉食禁止の禁令も出されているし、江戸時代の「生類憐みの令」は特殊なケースにしても、綱吉は猪肉や鹿肉など、食べることも販売することも禁じている。
それでも、有史以来日本人は狩猟の時代からずっとさまざまな獣肉を食べ続けてきたと思える。
ただ、どの時代を振り返っても牛馬などの家畜を食べる習慣はなかった。飢饉(ききん)でもあれば別だが、農耕や合戦に支障をきたすという現実的な理由からである。
実は、徳川将軍は牛肉を食べている。誰がどれだけ食べていたかは分からないが、彦根藩(井伊家)は将軍家に牛肉を献上していたのである。
それは食用でなく養生用であるという。
つまり、薬なのである。
したがって、牛肉を食べたことにはならないという都合の良さ。
さぞかしおいしい薬だったことだろう。
この牛肉がこんにちの「近江牛」のルーツである。
将軍も庶民も似たようなものだ。 牛肉を食べるようになったのは、西洋文化が押し寄せた明治以降だ。
仮名垣魯文の『安愚楽鍋(あぐらなべ)』には、牛鍋店で語り合う人々の世相が生き生きと描かれている。
文明開化の代表的な光景である。
明治天皇が明治5年(1872)に牛鍋を食べたことから、人々も大手を振って牛肉を食べられるようになって広まった。

宗教上の理由から特定の肉を決して食べないという国が世界に存在するなかで、わが国の建前と本音を使い分けてきた肉食の歴史は、驚くべき柔軟性をもった食文化といえるだろう。
(江戸散歩より一部引用)

■■店舗詳細■■
山くじら すき焼 ももんじや
TEL・予約 03-3631-5596(予約可)
住所 東京都墨田区両国1-10-2
交通手段
 総武線両国駅西口より徒歩5分
 都営浅草線東日本橋駅両国橋方面口より徒歩10分
営業時間
 【火曜~土曜】11:30~14:30(L.O.14:00)
 【月曜~土曜】17:00~21:00(L.O.20:45)
 月曜が祝日の場合ランチタイム営業。翌火曜ランチタイム休業
定休日
 日曜日。8/14~16及び23~26 夏季休業頂きます。

その1「玉ひでのしゃも鍋」はこちら

その2「浅草一文のねぎま鍋」はこちら

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